序文

 主に、報道は「調査報道」と「発表報道」に大別される。

「調査報道」とは、自分が毎日生活をしていて、疑問に思ったこと。たとえば、東京オリンピックの選手村に設置されたエアコンってどこに消えたんだろう? 政府や東京都、五輪組織委員会は、SDGsと掲げていたから、もしも大量廃棄していたら、彼らが言っていることってすごく矛盾しているよな、とか。そんな日々の疑問に対して、自分自身の頭で考えて、現場に足を運び、いろんな人たちに会って、話を聞いて、真相を追い求めて、自分の言葉で記事にしていくこと。それは、時間も手間暇もかかるし、当然のことながらコストもかかる。

 一方で「発表報道」とは、政府や地方自治体、企業などが提供する情報をそのまま鵜呑みにして伝達すること。報道する側からしたら、ただ、そっくりそのままの内容を報道すればいいだけなので、時間も手間暇もコストもかからない。とても楽ちん。けれども、「発表報道」は、情報を提供する側の都合が悪い部分は事前に省略されて、自分たちにとって都合がいい情報ばかりだから、偏りが生じるのは当然だ。知恵の悲しみの時代において、残念ながら、「調査報道」は空前の灯火である。そして、誰かにとって、とても都合のいい「発表報道」が跋扈しているのが現状だ。

 わたしの世代は、就職氷河期世代、ロスジェネと総称される。貧乏くじ世代とも揶揄されることさえある。世代的にはなかったことにされているにもかかわらず、いまだに旧世代がのうのうとやってきたことのつけを払わされ続けている。しかも、いまだに旧世代の中には、わたしたちの世代に対して「お前たちがいつまでも報われないのは、不満ばかりを言って、努力が足りていないからだ」と説教する人間もいる。

 おいおい、なんだよ。それ。お前たちは、どれだけ努力してきたのか? さんざん甘い汁を吸っておいて、絶対におかしいでしょう。

 出版の世界に身を投じて、早いもので20数年が経過する。

 その間、日本経済、そして出版業界全体が沈没していく中で、記者として、編集者として、本当にいろんな経験をしてきた。出版メディアもテレビや新聞と同じように硬直化していて、嘘ばかりで、自分の信念を最後まで貫き通すことができないこともたくさんあった。そんなうごめく渦の中で、たくさん落胆し、絶望、失望し、涙を流してきたから、だから、もうすっかり醒めている自分がいるから、「記者としての矜持」とか「ジャーナリズムの使命」とか、そんな理想はもう何もないんだけど。

 ある映画監督にインタビュー取材したときのこと。その人は、こんなことを言っていた。

「諦めないでずっと考えるのが真のインテリだ」

 知恵の悲しみの時代の中で、もうちょっとだけ抵抗してみようと思った。

 誰かにとって都合のいい情報だけが跋扈する世の中は、なんだか、自由さに欠ける気がして、とても、つまらないような気がしている。自分自身が心の奥底から許せないこと、解せないこと、納得のいかないこと。その一方で、心から笑えること、楽しいこと、面白いこと。そういう、世の中にうごめくエモーショナルな何かを他の誰かと分かち合うために。SELF AND OTHERS。自分ひとりではなくて、同じ方向を向いている他の誰かを巻き込みながら。

 どうかこの小さなサイトが自由と希望のメディア(手段)になりますように。結局、それは自分自身の救済なのかと。

2023年8月 SELF AND OTHERS 大崎量平