大崎 量平

1976年、4月27日生まれ。映画監督の庵野秀明氏とユニクロ柳井正氏と同郷の山口県宇部市出身。宇部さゆり幼稚園、宇部市立鵜ノ島小学校、宇部市立藤山中学校、私立香川高等学校卒業。1年間の浪人生活(代々木ゼミナール小倉校)を経て、1996年、学習院大学経済学部経営学科に入学。1998年、同大学文学部哲学科に転部。2001年、卒業。

大学時代に書店でアルバイトを経験したことなどをきっかけに出版業界で働きたいと思い、就職活動を行うが、大手・中堅出版社は全滅。

2001年4月~
医学系出版社「医学芸術社」に新卒入社。主に編集記者として全国の病院や看護系大学を取材。1年半ほどで退職。理由は、記者、編集者として、医療業界に限らず、いろんなジャンルの仕事にチャレンジしたいと思ったから。

2002年12月~
編集プロダクション「アークコミュニケーションズ」に入社。「週刊宝島」「フォーブス日本版」「日経キャリアマガジン」「別冊宝島」などの制作に携わる。

2005年1月~
30歳を目前にしてフリーランスの編集記者として独立。「週刊文春」や「月刊サイゾー」などで記事を執筆。ビジネス・自己啓発系の書籍の構成も担当。

2010年2月~
KKベストセラーズ「月刊CIRCUS」編集部に所属。30代・40代のビジネスマンを読者対象にした男性総合月刊誌の巻頭特集やインタビュー記事を担当。元中日ドラゴンズ投手・山本昌さんの自伝『悪あがき』も制作。

2013年10月~
徳間書店「月刊VOLT」編集部に所属。シニア男性の健康・トレーニング月刊誌において、アスリートインタビューや巻頭特集記事を担当。

2014年3月~
徳間書店「週刊アサヒ芸能」編集部に所属。14年7月「長崎佐世保女子高生殺害事件」、同年9月「神戸長田区小1女児殺害事件」、15年3月「東日本大震災を食い物にする震災悪魔を徹底追及」などの現場取材を担当。

40歳を目前に、週刊誌記者という仕事に嫌気がさして、「リクナビネクスト」や「マスメディアン」などの転職サイトを通じて、転職活動を行う。仕事が楽そうで、給料が高めの会社ならどこでもいいと思っていた。50社くらい受け、だいたい面接では「大崎さんのキャリアは素晴らしすぎるから、うちにはもったいない。物足りなさを感じると思いますよ」と皮肉を言われることが多かった。

2015年9月~
リック「月刊技術営業リーダーズ」編集部に所属。家電業界・製品の情報、経営ノウハウ等を街の電気店に提供する業界誌の誌面制作に携わる。

いつかのどこかの面接担当者が言っていたように、それまで自分が経験してきた仕事と比べると、〈物足りなさを感じる〉毎日だった。わずか1年足らずで退職。結局、その会社は、わたしが退職した数か月後に自己破産した。

2017年4月~
光文社「FLASH」編集部に所属。写真週刊誌の記者として、張り込み取材や直撃取材を担当。

人生で一度は言ってみたかった言葉。タクシーに乗車して「運転手さん、あの前を走る黒いアルファードを追ってください!」という言葉を何度も連呼。

「パワハラで解任されたレスリング栄監督『謝罪会見』当日の夜にキャバ嬢と焼肉同伴でガッツポーズ」、「貴乃花親方の右腕『立浪親方』が密会するスレンダー美女」、「独占インタビュー『清原和博』もし高校野球の監督になったら…」、「巨人・坂本勇人が宇都宮のキャバクラで乱痴気騒ぎ」などを担当する。

2018年10月~
講談社「週刊現代」編集部に所属し、専属記者として活動中。

たまたま、そういう時代に青春時代を過ごすことになったロスジェネ、就職氷河期世代として、日本型組織の腐敗や不正、劣化についての取材活動にも取り組んでいる。人生のテーマソングは小沢健二さんの「天使たちのシーン」。好きな言葉は、写真家・牛腸茂雄さんの〈ものを見るという行為は、たいへん醒めた行為のように思われます。しかし、醒めるという状態には、とても熱い熱い過程があると思うのです〉